新書、文庫で勉強する日本史

新書や文庫本で日本史の勉強を始めています。まだまだ入門者だと自覚していますが、私と同様の入門者の方や、高校生、大学生の参考になればと思っています。

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佐藤優氏の『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)を読んだときも、半信半疑ながらも呆れてしまったのだが、田中真紀子って人は本当にトンデモなんだなあと思った。大嶽秀夫氏の『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』(中公新書、2003)

 1990年代や小泉政権時代(2001~2006年)となると、まだ「日本史」の勉強範囲とは言えないかもしれないが、しかし、歴史の勉強ということでは興味深いし、そのための新書としては大嶽秀夫氏の『日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅』(中公新書、2003)は非常にいいのではないだろうか。
 序章で、1990年代について、「一 政治改革を求めた三つの政治勢力」、「二 社民勢力の解体」、「小沢グループとさきがけとの対立」、「四 橋本改革の登場と挫折」という流れが整理され、第一章では「加藤の乱」が説明される。ほう、そうだったの(~_~;) と初めて知ることも多く、改めて現代の動きについての認識の浅さを反省させられた。
 第二章、第三章では小泉純一郎についての分析は、これまた色々と考えさせられるものだ。
 第四章では、田中真紀子が取り上げられる。いやぁ、この人って全く(-_-;) 佐藤優氏の『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)を読んだときも、半信半疑ながらも呆れてしまったのだが、田中真紀子って人は本当にトンデモなんだなあ。
 第五章の、テレビニュースの話も歴史的な文脈で理解できてすっきりした。

 小刻みの余り時間で少しずつ読んだ(感心しながら)のだが、もう一度集中して読み返してみたいと思っている。

日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅 日本型ポピュリズム―政治への期待と幻滅
大嶽 秀夫 (2003/08)
中央公論新社
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BRICsに数えられ、経済成長が著しいインドという国の様子がわかっていいかも。面白いし。ヴィカス・スワラップ氏の『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社)

 ヴィカス・スワラップ氏の『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社)を読んだ。
 面白かった。巻、置くあたわず、というやつだ。
 処女作からこういう物語が書けるというのは、やはり、ストーリーテラーという才能なのだろうか。
 しかし、はて何が面白かったのだろうか。
 インドの貧しい少年が悲惨な人生の局面に対していく、その際に同情する読者としては、主人公がなんとか危機を脱していくことを期待し、その期待がなんとか応えられながら物語は進む、そのはらはら。また、章ごとに、この小説の枠組みとされたクイズ番組でのクイズへの回答場面が置かれ、それもそれなりに面白い。

 BRICsに数えられ、経済成長が著しいインドという国の様子がわかっていい。


ぼくと1ルピーの神様 ぼくと1ルピーの神様
ヴィカス・スワラップ (2006/09/14)
ランダムハウス講談社
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人間嫌いが特別な人だけに許される時代だったのだと思う~半藤一利氏の『荷風さんの戦後』(筑摩書房)

 しかし、いいなあ、永井荷風。
 これだけ、人間嫌いで、世の中とソリが合わず、反俗の姿勢を貫ける人生は、やはりうらやましい。
 ただ、ここで考えるのだが、人間嫌いというのは本当は多数の人がそうで、でも、みんな我慢して、努力して、なんとかやりくりしているのではないか。
 渡辺一史氏の『こんな夜更けにバナナかよ』で読んだ鹿野靖明さんの生き様を考えるのだが、彼もたぶん元来は人間嫌いだったのではないか。しかしながら、人間嫌いのままでいることは許されない環境だった、ということではないか。
 永井荷風が人間嫌いで、偏屈者、奇人変人と言われながら許容される社会や環境というのは、うらやましいものだ。そもそも、許容する「社会」があったということか。今や、人間嫌いのわがままな団塊の世代やその子どもたちが、社会性を習得することなく、我慢も努力もせずに、わがもの顔でのさばっている。誰も許容されたいが、許容しない。
 ということは、今の時代に、永井荷風のこのような性格を安易に吹聴するのはどうか、ということになろうか。

荷風さんの戦後 荷風さんの戦後
半藤 一利 (2006/09)
筑摩書房
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中学生向けにやさしく書くということは難しいことだ。~沢寿郎氏の『鎌倉史跡見学』(岩波ジュニア新書)

 沢寿郎氏の『鎌倉史跡見学』(岩波ジュニア新書)を読んでいる(パラパラ見ている?)。

 たぶん、著者は中学生を主な読者に想定し、文章を書いているのだろうけれど、そこで大きな勘違いをしている。
 小学生低学年のような場合には、昔話のようにストーリーテリングによって歴史を語ることは有効だろう。
 しかし、たとえば、「兵糧米を徴収することを奏請しました」とか、「全国の警察権と土地管理権とを手中におさめる」とかの歴史を記述するとなりに、「ところが頼朝にとっては、このように朝廷が恐怖におびえ狼狽しているのが、(中略)絶好の機会でした」とか、「さて、いくらさがしても義経は行方が知れません。(中略。静に)なんど問いただしても、義経とは吉野山で別れたきり行方は知らない、と答えるばかりです」とかの表現は、やはり勘弁してほしい。

 と言いながら、内容は鎌倉時代の政治史と宗教をコンパクトにまとめており、最初にパラッと読むのにはいいかもしれない。いや、他にもっといいのがあるかな。

鎌倉史跡見学 鎌倉史跡見学
沢 寿郎 (1979/01)
岩波書店
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普通人にとって障害者の問題やボランティアの入門書に最適か~渡辺一史氏の『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(北海道新聞社、2003)

 渡辺一史氏の『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(北海道新聞社、2003)を読んだ。

 感動する本だ。
 重度身体障害者である鹿野靖明という人物の凄まじさとボランティアとの関係は、それだけで人を感動させるものだろうが、この著者を得ることによって、よりよい表現として世に出たというべきだろう。
 障害者の問題やボランティアというのは難しいもので、しばしば美談や建前論に堕してしまうこともある。しかし、この渡辺一史氏のスタンスは非常に常識的であり、率直に事態に対峙したことにより、共感できるものになっている。

 編集の段階でもう少し練り上げていたら、大傑作になっていたのかもしれないが、いや、これはこれでいい本だった。

こんな夜更けにバナナかよ こんな夜更けにバナナかよ
渡辺 一史 (2003/03)
北海道新聞社
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統一地方選が終わって一段落だが、さて、次は夏の参院選がどうか。石川真澄氏の『戦後政治史』(岩波新書)が面白い。

 統一地方選が終わって一段落だが、さて、次は夏の参院選がどうなるか。
 たぶん、自民敗北ではないか。一勝一敗などと言ってられないのではないか。
 石川真澄氏の『戦後政治史』(岩波新書)の「補論 民意の軌跡」(p.197~)は面白く、興味深い。
 そこで仮説として言われる、参院選での、保守党の得票と棄権票の相関関係(棄権が増えると保守党得票は減り、棄権が減ると保守党得票は増える)や、「亥年現象」(12年毎の地方統一選挙と参院選が重なる年は、たぶん地方議員が4月の選挙のあとサボッて督促しないから、棄権が多くなる)は、思わず納得してしまった。
 ちなみに今年はその亥年だが、今年の参院選は棄権が多く自民は負ける、かどうか興味深い。

 この、石川真澄氏の『戦後政治史』はその補論も面白いのだが、本論はどうかというと、1945年から1994年までの50年間の政治史をわかりやすく解説したものだ。
 様々な事件やエピソードもほどよく説明されていて、興味深く戦後史を勉強できるのではないか。戦後史を勉強しようとする大学受験生には、お勧めだろう。
 ノートをまとめたりするときに、参考書にすればよい。
 ただ、ついつい、ほう、ほう、なるほど、そう、なんて読み流すと(わかりやすく、興味深いだけにそうなりやすい)頭に入らないだろうから、岩波ジュニア新書の『昭和時代年表』などを見ながら、確認しながらしっかりと理解し、覚えていくことが大切だ。

 なお、「補論 民意の軌跡」(p.197~)は、選挙分析で大学受験には無縁だろうが、面白いので、若い人たちにも合わせて読んで、感想を教えてほしいものだ。


戦後政治史 戦後政治史
石川 真澄 (2004/08)
岩波書店
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「文藝春秋」2007年04月号の「小倉庫次侍従日記」

「文芸春秋」2007年04月号の「小倉庫次侍従日記」を読んだ。

昭和天皇の印象は、ほぼ確定したと言っていいのではないだろうか。
戦前の昭和天皇の態度は、非常に時代に即したもので、常識的なところと言うべきだろうが、戦後の政治的な意図からしばしば言われる「平和主義者」では、もちろん、なかった。
今回の小倉侍従の日記でも、昭和天皇がうまく行かない中国戦線を反省したり、言うことを聞かない大臣や軍人・官僚にいらだったり、勝てそうもない米英との戦争に躊躇したり、開戦直後の戦捷に喜んだりする様子が伺える。それは当時の元帥たる人の当然の態度であろうし、まことに普通の人、非英雄的な人物であったことを証しているように思われる。皇后との、「夫婦喧嘩」もあったのだろう。

すでに多くの研究がなされ、描かれてきた昭和天皇像を、補強するものであっても、書き換えるものではない。その意味では、「衝撃の新発見」というのは少しね(-_-;)


文藝春秋 2007年 04月号 [雑誌] 文藝春秋 2007年 04月号 [雑誌]
(2007/03/10)
文藝春秋
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NHK「その時 歴史が動いた」の「謙信恐るべし」(平成19年4月4日 (水) 放送)

NHK「その時 歴史が動いた」の「謙信恐るべし」(平成19年4月4日 (水) 放送)を観た。

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_04.html#01

 生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才、まさに、謙信恐るべしである。

 黒田日出男氏が出演していて、洛中洛外図に謙信が描かれているという『謎解き洛中洛外図』(岩波新書)での説が取り上げられていた。でも、黒田氏の説のうち、番組に必要な部分だけで、少し残念(^_^;)
 でも、黒田氏の本では、理念的にしか理解しなかった、信長の謙信を恐れるイメージがつかめた点では、この番組はよかった。

 上杉謙信の家訓がよかった。以下の16条のとおり。
 わからないのもあるが、なるほどと感心できるのもある。

 「心に物なき時は心広く体泰なり」
 「心に我が侭なき時は愛敬失わず」
 「心に欲なき時は義理を行う」
 「心に私なき時は疑うことなし」
 「心に驕りなき時は人を教う」
 「心に誤りなき時は人を畏れず」
 「心に邪見なき時は人を育つる」
 「心に貪りなき時は人に諂うことなし」
 「心に怒りなき時は言葉和らかなり」
 「心に堪忍ある時は事を調う」
 「心に曇りなき時は心静かなり」
 「心に勇ある時は悔やむことなし」
 「心賤しからざる時は願好まず」
 「心に孝行ある時は忠節厚し」
 「心に自慢なき時は人の善を知り」
 「心に迷いなき時は人を咎めず」 

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NHKスペシャルの「激流中国 富人と農民工」(2007年4月1日(日)放送)

 NHKスペシャルの「激流中国 富人と農民工」(2007年4月1日(日)放送)を観た。

 いやはや、現代中国社会で格差が広がり、勝ち組と負け組の差が鮮明になっている有様には驚いた。
 普通、プロレタリアート革命が起こるんじゃなかろうか、こんな有様では。あ、既に革命が起こって共産主義国家になっているんだったか(-_-;)

 でも、中国株に投資している皆さんはどう思ったろう。このような状況だからこそ、今後も経済発展するだろうと考えるのか(-_-;)

http://www.nhk.or.jp/special/onair/070401.html

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永井路子さんの『波のかたみ―清盛の妻』(中公文庫)

 永井路子さんの『波のかたみ―清盛の妻』(中公文庫)を読み返している。

 1156年の保元の乱から、1185年の壇ノ浦の平家滅亡までの時代を、平清盛の妻である時子の視点で描いた小説である。
 この著者の小説で微笑ましいというか、そりゃこの方が合理的だと同意したいのが、しばしば系図を挿入することだ。作家によっては、複雑な系図を、小説だからというつもりなのか、本文の言葉で説明しようとするが、こんなふうに系図で処理してもらうほうがずっと読者にとってわかりやすい。
 例えば、保元の乱、平治の乱(1159年)の対立構造もわかりやすい。
 保元の乱は、1156年7月に鳥羽法皇が崩御してすぐに、兄弟である(少なくとも系図上では)の崇徳上皇と後白河天皇の対立に、これまた兄弟である藤原忠通(ただみち)と頼長(よりなが)の対立が加わり、後白河天皇・忠通(ただみち)グループが勝利したものだ。
 平治の乱は、保元の乱の後に権勢を振るっていた藤原信西を、①後白河上皇の寵臣の藤原信頼(のぶより)、②後白河上皇の子である二条天皇の近臣である藤原経宗(つねむね)、惟方(これかた)が、源義朝を使って、襲い、まず信西滅亡。次いで、熊野詣に出掛けていた平清盛が帰京し、①と②のグループの離反の機に①を滅ぼす。また、その後の後白河と二条の対立の中で、②が流罪となり没落。結果、清盛の時代が廻ってくる。
 1180年、源頼朝が挙兵し、翌1181年に清盛が死去し、1185年の壇ノ浦の平家滅亡となるのだが、この12世紀後半というのは、トーナメント戦を戦っているようだ。優勝は源頼朝、準優勝が後白河、清盛はベスト4まで行った、というようなイメージか(^_^;)

 小説だから、その平家のベスト4進出の様子を面白く、読みやすく、描いている。
 時間に余裕があれば一読をお勧めする。
 永井路子さんの作品としては、『美貌の女帝』が最も感心した。それよりは落ちるようにも思うが、『北条政子』よりはこちらがいいように思う。


波のかたみ―清盛の妻 波のかたみ―清盛の妻
永井 路子 (1989/02)
中央公論社
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大久保利謙の『日本近代史学事始め―一歴史家の回想』(1996/01 岩波新書)

大久保利謙の『日本近代史学事始め―一歴史家の回想』(1996/01 岩波新書)を読んだ。
 この新書を手にしたのは、タイトルどおりの内容について学びたいというよりも、やはり著者が大久保利通の孫という点で興味をもったことによる。実際に読むと、当然、中身はタイトルどおりの内容についてであって、大久保利通の話はほとんどなかった。
 それでも、利通の孫であり、侯爵家の人間らしい話はあって、それなりに時代と人の空気は感じられる。
 前に、犬養道子さんの『ある歴史の娘』を読んだことがあったが、それと学習院の話がある意味、共通する。すなわち、学習院の生徒の家族意識的なるもの(「家族」は「華族」の誤植ではない)。
 読みやすいので、時間があれば読んでもいいだろう。
 若き荒木貞夫の写真が見られる(p.5)のは、得した気分だ(~_~)



日本近代史学事始め―一歴史家の回想 日本近代史学事始め―一歴史家の回想
大久保 利謙 (1996/01)
岩波書店
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「分かりやすい説明」の技術 最強のプレゼンテーション15のルール

『「分かりやすい説明」の技術 最強のプレゼンテーション15のルール 』(ブルーバックス新書) 藤沢 晃治 (著) を読んだ。

 藤沢氏には「分かりやすい~~」という著書が3冊あるのだが、その第2弾だ。
 久しぶりに読み返しつつあるのだが、この著者の「分かる」、「分かりやすい」とはどういうことか、ということの説明は、確かになるほどと思わされる。
 それは、この本の前の『「分かりやすい表現」の技術―意図を正しく伝えるための16のルール』で読んだのだと記憶している。この二冊目の本は、一冊目との重複が多いような気がして、流し読みしたような気がする。
 それはそれとして、改めて読み返していると、いろいろと「分かりやすい説明の技術」について整理されているので、面白い。
「知らせる」と「説明する(分からせる)」との対比(p.26)も適切な話題だ。

 以前、鈴木 直氏の『輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか?』を読んだことを書いたが、少し通じるところがある

「分かりやすい説明」の技術 最強のプレゼンテーション15のルール ブルーバックス 「分かりやすい説明」の技術 最強のプレゼンテーション15のルール ブルーバックス
藤沢 晃治 (2002/10/23)
講談社
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中島らも氏の『何がおかしい―笑いの評論とコント・対談集』(白夜書房)

 中島らも氏の『何がおかしい―笑いの評論とコント・対談集』(白夜書房)を読んだ。
 誰かがほめていたような記憶があって、読んでみたのだが、あまりよくなかった。
 玉石混交というべきか。と言っても、「玉」が少ない(-_-;)
 生前のインタヴューなどを寄せ集めて一冊にしたようだが、「石」が多すぎる。
 残念なことだ。
 この「中島らも」という人についてはほとんど知らなかった。この本を読む限りでは、その人生も残念なことのように思う。
 いかにもこの時代の、失敗の人生のように思ってしまった。



何がおかしい―笑いの評論とコント・対談集 何がおかしい―笑いの評論とコント・対談集
中島 らも (2006/08)
白夜書房
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黒田日出男氏の『竜の棲む日本』(岩波新書)

 黒田日出男氏の『竜の棲む日本』(岩波新書)を読んだ。

 黒田日出男氏の『謎解き洛中洛外図』に続く岩波新書第2弾。傑作の『謎解き洛中洛外図』にはかなわないが、なかなか面白い。
 中世の人々の宇宙観あるいは世界観というのか、空間観念というのかが解明されていくのに感心した。この手の内容の入門書というのは知らなかった。

 一方、『謎解き洛中洛外図』にかなわないというのは、私の学力のせいなのだろうが、明解性が『謎解き洛中洛外図』に比べると劣るという点に思う。『謎解き洛中洛外図』は結論が、(その当否は議論があるとしても)非常に明らかにすっぱりと示されているのに対し、この本はまだまだ難しい問題が残り、研究すべき宿題を提示して、たくさんの勉強すべき文献を掲げて終わる。
 ある意味では、この本の方が日本史を勉強しようと考える初学者には刺激となるものかもしれない。
 ま、そうすると黒田氏はやはり優れた日本史学習の導き手ということか。

 ただ、二作を比べてもう一つ思うことに、文章が『謎解き洛中洛外図』の方が良いということだ。
 少し、焦って書かれたか、黒田先生。



龍の棲む日本 龍の棲む日本
黒田 日出男 (2003/03)
岩波書店
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「ガイアの夜明け」の「成長を買う! ~沸騰する新興国投資ブーム~」

日経スペシャル「ガイアの夜明け」の「成長を買う! ~沸騰する新興国投資ブーム~」(3月6日放送 第253回)を見た。

http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/index.html

 なるほど、ベトナムか。200万の元手が3億か。ううむ、すごいねえ。
 いやいや、ベトナムは危ないって。南アフリカ、VISTAか。
 一体、日本はどうなるんだろう。

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中里憲保氏の『北の球聖 久慈次郎―大リーガーと渡り合った悲運の名捕手』草思社 (2006)

 中里憲保氏の『北の球聖 久慈次郎―大リーガーと渡り合った悲運の名捕手』草思社 (2006)を読んだ。

 春の甲子園も近いし、つい面白そうなので手に取った本だ。
 久慈次郎さん、名前も存じ上げなかったのだが、素晴らしそうな人だ。
 それは、日本野球の黎明期の名捕手であったことや沢村栄次を育て(そうになっ?)たこと、また、長くがんばったことなどのせいもあるかもしれないが、やはりエピソード群の中から感じられる人柄の故だろう。
 時代は明治から昭和にかけてのことで、近代史の勉強になるかとも思ったが、それはならなかった(^_^;)

 著者に失礼にも言わせていただければ、これだけの素材なのだから、渾身の傑作に仕上げてほしかった。残念ながら、凡作に終わってしまわれたように思う。やはり、文章、あるいは筆力というのだろうか…失礼m(__)m


北の球聖 久慈次郎―大リーガーと渡り合った悲運の名捕手 北の球聖 久慈次郎―大リーガーと渡り合った悲運の名捕手
中里 憲保 (2006/12/15)
草思社
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奥野修司氏の『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋)

奥野修司氏の『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋)を読んだ。

賛否両論を招く本だろう。
一つには、ストーリーだ。殺害された少年の家族の崩壊する様があまりにもむごいことに重ねて、殺害した少年がその後、弁護士となってかつ謝罪すらしないということで、通常の読者は嫌悪感を抱くはずだ。
もう一つには、この著者がおそらくわかった上で、露悪的な態度さえ見せて、読者に嫌悪感を抱かそうとしているということだ。悪魔に魂を売ったか。この著者の態度も「ノンフィクション」ならば、まず神に裁かれるべきは著者だろう。

奥野氏が、書くということにどのような意義を見出しているのか。著述家としての金銭欲や名誉欲か。書くことによって救われるとか、悦びを得るとかはあるのだろうか。
表現するということが、インターネット世界での表現のモラルの低さに引きずられていくのかもしれない。

このように考えるとき、読書中に文体に感心しないことがしばしばあったことはむしろ、救いとなる。もし、いい文章でこんな本が書かれていれば、もっと混乱させられていただろう。

心にナイフをしのばせて 心にナイフをしのばせて
奥野 修司 (2006/08)
文藝春秋
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小峯和明氏の『中世日本の予言書―〈未来記〉を読む』(岩波新書)

小峯和明氏の『中世日本の予言書―〈未来記〉を読む』(岩波新書) を読んだ。

「野馬台詩」というものがあるということは、今谷明氏の『室町の王権―足利義満の王権簒奪計画』で知ったのだが、よくは知らない。
この本で、「野馬台詩」がわかるかとも思ったが、どうもまだるっこしい。
時間がなく、あるいは引き込まれるところがなくパラパラと流し読みしただけになり、著者の意図もよくわからない。
もし、何かの機会があったら読み直すことにするか。


中世日本の予言書―〈未来記〉を読む 中世日本の予言書―〈未来記〉を読む
小峯 和明 (2007/01)
岩波書店
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NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の第43回「シリコンバレー、疾風怒濤 技術者 渡辺誠一郎」(3月1日放送)

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の第43回「シリコンバレー、疾風怒濤 技術者 渡辺誠一郎」(3月1日放送)を見た。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070301/index.html

 渡辺誠一郎さんは魅力的な人だ。
「頭をマッサージする」というのなんかは、観念的には思いつきやすそうだが、渡辺さんの具体の行動はとんでもない冗談を提案することであったりするわけだ。
 それにしても、43歳でシリコンバレーに飛び込み、「マドル・スルー」した話には感心した。普通は、つぶれそうに思うが。大したものだ。

 それにしても、開発中の画像の自動編集とは一体何なのだろうか。
 番組で紹介されていた限りでは、まさにスライド・ショーにしか見えなかった。
 でも、そんなはずはないだろう。たぶん、実現するととんでもないアイデアなのかもしれないが、いつか「あっ、これがあの画像の自動編集のアイデアなのか」と驚く日が来るのかもしれない。

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『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫)

ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫)を読んだ。

著者ニコライ=カサートキンとは、ロシア人で、幕末から日本に来て、ロシア正教を布教した人物である。あの御茶ノ水の「ニコライ堂」という名称は、この著者ニコライにちなむものだ。

この本に訳された論文は、ニコライが1861~1869年の日本滞在の後、「ロシア報知」に掲載されたもので、原題は「キリスト教宣教団の観点から見た日本」だそうだ。
神道や仏教などの記述が多い。ロシア人宣教師が、当時の日本を、また日本の宗教状況をどのように見、同国人に説明しようとしたのか、よくわかる。

【気に入った一節を抜粋】
民衆は、自分たちの間に行われていた秩序になおはなはだ不満であったというのだ! 商人はあれやこれやの税のことで不満を言い(実際にはその税は決して重くはないのだ)、農民は年貢の取り立てで愚痴を言う。また、誰もかれもが役人を軽蔑していて、「連中ときたら、どいつもこいつも袖の下を取る。やつらは碌でなしだ」と言っている。

ニコライの見た幕末日本 ニコライの見た幕末日本
ニコライ (1979/05)
講談社
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